ビル・エヴァンス バイオグラフィー(年表)
ビル・エヴァンスの生涯を年表にしました。
- 1929
- AUG 18
- ニュージャージー州プレインフィールドに、ウェールズ人の父親とアメリカ生まれだがロシア系移民の娘である 母親の間に誕生。 本名、William John Evans。
- 1935
- 6歳の時、ピアノレッスンを始め、翌年、バイオリンを始める。
12歳でフルートを始め、13歳の時にバディ・バレンティノのバンドに兄ハリーの代役で参加。
- 1944
- ニューオリンズのサウスイースタン・ルイジアナ・カレッジに入学。マンデル・ロウ(g)と知り合う。
レッド・ミッチェル(b)、トニー・スコット(cl)らと知り合い、スコットのグループに参加。
- 1950
- 同カレッジ卒業後、ハービー・フィールズのセプテットに参加、プロ・ミュージシャンとしてのスタートを切る。 これには10ヶ月ほど在籍。
- 1951
- 演奏先のシカゴで兵役に取られ、軍のバンドで演奏活動を行う。(〜1954)
- 1954
- 除隊後、両親のもとで1年ほど静養してから、ニューヨークに進出する。ジェリー・ウォルドのバンドで働き、初レコーディングを体験する。
- 1955
- ルーシー・リード(vo)や、ディック・ガルシア(g)らの録音に参加する。
- 1956
- ジョージ・ラッセルやトニー・スコットのレコーディングに参加。マンデル・ロウの支援により、リバーサイドのオリン・キープニューズと知り合う。
- SEP
- 初リーダー作、"New Jazz Conseptions"を録音。
ナット・ヘントフ以下の一流批評家の評価を受けたが、一般ファンの注目を集めるには至らなかった。
なお、この年、スコット・ラファロ(b)とともに、チェット・ベーカー(tp)のオーディションを受けている。
- 1957
- ブランダイス大学で催された"サード・ストリーム"コンサートに参加、"オール・アバウト・ロージー"でのソロが高い評価を呼ぶ。
- 1958
- FEB
- マイルス・デイビス(tp)のグループに参加。一躍注目を集めるようになる。
"1958マイルス"を録音。 - SEP
- アート・ファーマー(tp)の"モダン・アート"録音。
- NOV
- 9ヶ月在籍したマイルス・グループを脱退。
ジミー・ギャリソン(b)とケニー・デニス(ds)と共に、自己のトリオを結成。 - DEC 15
- リーダー第二作、"Everybody Digs Bill Evans"を録音。
- 1959
- FEB-MAR
- マイルス・デイビスに呼び戻され、"カインド・オブ・ブルー"の録音に参加。
再び脱退後、多くのメンバーチェンジを経て、スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とのピアのトリオを結成する。 - DEC 28
- リーダー第三作、"Portrait In Jazz"を録音。
- 1961
- FEB 02
- リーダー第四作、"Explorations"を録音。
- JUN 25
- ビレッジ・バンガードに出演。
- JUL 06
- スコット・ラファロ、自動車事故のため死去。
6月25日のバンガードでのセッションを録音した、"Waltz For Debby"、"Sunday at The Village Vanguard"の2枚のアルバムは、ラファロへの追悼の意味を込め、これより約一年後に発売される。
- 1962
- APR - MAY
- ジム・ホール(g)とのデュオによる"Undercurrent"を録音。
- MAY - JUN
- "How My Heart Sings"、"Moonbeams"を録音。
- JUN 16-17
- フレディ・ハバード(tp)、ジム・ホールを加えたクインテットによる"Interplay"を録音。
- AUG 20
- バーブ・レーベルへの初リーダー作、"Empathy"を録音。
- 1963
- FEB
- クリード・テイラー(プロデューサー)やヘレン・キーン(マネージャー)のアイディアにより、2重録音の"Conversation with Myself"を録音。グラミー賞を獲得。
- MAY 30-31
- "At Shelly's Manne Hole"を録音。 リバーサイドへの最後の吹き込みとなる。
- DEC 18
- ベースにゲイリー・ピーコックを迎え、"Trio 64"を録音。
- 1965
- FEB 03
- "Trio 65"を録音。
- SEP 29
- クラウス・オガーマン楽団との共演による"Bill Evans Trio with The Symphony Orchestra"を録音。
- 1966
- FEB 21
- 父、ハリー・L・エバンス急逝直後、タウンホールでのライブ"At Town Hall"録音。
- APR - MAY
- ジム・ホールと再びデュオ・アルバム"Intermodulations"を録音。
- OCT 11
- エディ・ゴメス(b)と知り合い、シェリー・マンを加えて"Simple Matter of Conviction"を録音。
- 1967
- AUG 09
- 多重録音によるソロ・アルバム、"Further Conversation with Myself"を録音。
- 1968
- JUN 15
- モントルー・ジャズ・フェスティバルにエディ・ゴメス、ジャック・ディジョネット(ds)と共に出演。"Bill Evans at The Montreaux Jazz Festival"として発売される。
- 1969
- JAN - MAR
- ジェレミー・スタイグ(fl)との共演版"What's New"を録音。
- DEC 12
- ソロ・アルバム"Alone"を録音。 後、このアルバムでグラミー賞を獲得。
- 1970
- この頃悪癖を絶ち、ドラッグとは無縁の生活を送るようになるが、非常習性のコカインに手を出す。
- JUN 19
- モントルージャズフェスティバルに自己のトリオで出演。 "Montreaux II"を発表する。
- 1971
- MAY - JUN
- CBS移籍後、初のアルバム、 "The Bill Evans Album"を録音。 スタインウェイとともにエレクトリック・ピアノ(フェンダーローズ)を弾いて話題となる。
- 1972
- MAY
- ジョージ・ラッセルとの共同作業による"Living Time"録音。
- 1973
- JAN 04
- エディ・ゴメス、マーティー・モレル(ds)を率いて初来日。20日、12回を数えた最終公演の郵便貯金ホールでのライブを録音。 "Bill Evans Live In Tokyo"として発売される。
この後、エイレン婦人が急逝。 - NOV 19
- シェリーズ・マンホールでライブを録音。後年発売される。("Eloquence")
- 1974
- しばらく独身生活を送った後、ニュージャージーの田舎に移り住み、新しい妻と再婚。
- JAN
- ファンタジー・レコードに移籍。
- FEB 11-12
- ビレッジ・バンガードで"Since We Met"を録音。
- FEB 11,12,14
- MPSとの単発契約による、"Symbiosis"を録音。
- MAR
- 二度目の来日。
- NOV 07-10
- CBS移籍後の初アルバムとなった"Intuation"を録音。
- 1975
- JUN 10,13
- トニー・ベネット(vo)とのデュオ・アルバム"The Tony Bennett-Bill Evans Album"を録音。
- JUN 20
- モントルー・ジェズ・フェスティバルに出演。"Montreux III"として発売される。
- 秋、愛息エバン誕生。
- DEC 16-18
- "Alone Again"を録音。
- 1976
- JAN
- 三度目の来日。
- MAY
- "Quintessence"を録音。 メンバーはハロルド・ランド(ts)、ケニー・バレル(g)、レイ・ブラウン(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)。
- SEP
- トニー・ベネットと再共演。"Together Again"として発売される。
- 1977
- FEB - MAR
- リー・コニッツ(as)、ウォーン・マーシュ(ts)らと"Crosscurrents"を録音。
- MAY 11-13
- ファンタジー・レコード最後のアルバム"I Will Say Goodbye"を録音。
- AUG 23-25
- エディ・ゴメスとの最後の共演作"You Must Believe In Spring"を録音。
- 1978
- JAN - FEB
- 多重録音を駆使した"New Conversations"を録音。
- SEP
- 四度目の来日を果たす。
- OCT - NOV
- トゥーツ・シールマンス(hca)、ラリー・シュナイダー(ss/ts/fl)を迎え、"Affinity"を録音。
- 1979
- 春、兄ハリー・エバンス死去。
- AUG 06-09
- トム・ハレル(tp)を迎え、マーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーバラ(ds)と共に"We Will Meet Again"を録音。
- NOV 26
- "The Paris Concert"を録音。
- 1980
- AUG
- サンフランシスコのキーストーン・コーナーに出演。 この頃から胸の筋肉が引きつると言って治療を受ける。
- SEP 09-10
- ニューヨークのファット・チューズデイズに出演。 最後の演奏となる。
- SEP 11
- 演奏不可能となる。 しかしこの後も病院へは行こうとしなかったと伝えられる。
- SEP 15
- 午後5時、ニューヨークのマウント・サイナイ病院の救急室に運ばれるが、まもなく死去。
死因は出血性潰瘍、気管支肺炎、肝硬変。
享年51歳。 - SEP 19
- シティ・コ−プ内のセント・ピータース教会にて、ジョン・ゲンセル師により葬儀。
葬儀の音楽監督はエディ・ゴメスが務め、ルー・レヴィ、トミー・フラナガン、ビリー・テイラー、ポール・ブレイ、マリアン・マクパートランド、バーバラ・キャロルらのピアニスト、フィル・ウッズ(as)、ジェレミー・スタイグ(fl)らが参列。 - SEP 22
- サン・フランシスコの「グレート・アメリカン・ミュージック・ホール」にてオリン・キープニューズらにより追悼コンサートが開かれる。
ルイジアナ州バトン・ルージュにて永眠。